[ 東山魁夷館 永遠の風景(内覧会) ]

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東山魁夷館・特別展:東山魁夷 永遠の風景(2)
−心を写す情景を描く−


ここからが多くの人たちのイメージする魁夷作品であり、この特別展でのメインといえます。普通なら定年を迎えた年齢以降になっても、精力的に作品を生み出しています。
白い馬の見える風景
白い馬の作品は4点。左2点が日本の風景、右の小さな2点が海外の風景。
ある時、風景の遠くに、白馬が歩いているのが見えたという。

魁夷は自分の心を映し出す自然と向き合う。
馬もまた、自分の心に現れたなにか。
白馬の森(1972年)
印刷で見るのと全然違う、
木だけではない細かい森の描写、
東山ブルーの中に存在する多彩な色。
大きな写真
緑響く(1982年)
他作品の10年後に描かれた作品。
鏡のように映る森の木々、静かに
流れる、心穏やかな時間。
日本画なのに、西洋絵画のようにも感じる魁夷の作品。掛け軸、屏風ではなく、額が似合う。なぜだろうと考えついたのは「作品に白地・余白がほぼない」でした。紙全体に、しっかりと色が塗られています。だから絵を目の前にした時、魁夷の世界に入り込めるんだと思いました。
静映(1982)<本制作>
長野県民文化会館の中ホールで使う緞帳のための原画。
緞帳用ということで、横長の作品になっています。
白樺が明るく輝いてアクセントになり、絵全体を引き締めています。
信州・日本の風景
一見すると紺色で塗りつぶされたように見える夕静寂の森。時間をかけてじ〜っと眺めていると、その中には深い青の重なり、グラデーションで表現した木々が描き込まれています。魁夷はこの深く暗い青を表現するため、アズライトで作った青い絵具を焼き、それを何層にも重ねて塗ったそうです。
青色へのこだわりといえば、フェルメールを思い出しますが、こちらは高価なラピスラズリを使い、鮮やかな青を用いています。青は、人を引き付けてやまない魅力ある色です。
夕静寂(1974年)<本制作>
奥穂高に実際ある風景には、滝が
一筋の光のように書き加えられた。
大きな写真
真珠の耳飾りの少女
フェルメール
(マウリッツハイスにて撮影)
秋思(1988年)

何気ない景色に目を止め、筆をとる。唐招提寺障壁画の取材中、山の辺の道を歩いていて見つけた風景だそう。あの辺りは情緒ある風景が続き、街暮らしをしていると、ふと出かけたくなるいい場所なんです。

"私は異様なもの、誇張されたもの、大声でわめく作品を生み出したいとは思わない。また新しいといわれる形式にも、 そんなに心をひかれない。自然の中にあって、心静かに感じるものをすなおに表現してゆきたいと希っている。"

※希う=こいねがう(強く思い願う )
唐招提寺御影堂障壁画 関連作
左から黄山雨過(1978)、り江暮色(1978)、桂林月夜(1976)。
岩絵具を焼いて墨のような色を出した、水墨画っぽい日本画。
正面は中国で開かれる東山魁夷展向けに、桂林を流れる川からの風景を描いたもの。
※り江の"り"は、さんずいに離。
風景の枠
沼の静寂(1983年) <本制作>
インスブルックの風景を描いた作品。
大きな写真
モネ「睡蓮」
(オルセー美術館にて撮影)
大きな写真
実際に見るまで、東山魁夷のぼんやりとした画風は印象派に近いのかと思っていましたが、少し異なるようです。印象派は目の前にある光や色の調和、雰囲気を伝えることに重点を置き、形状はあまりこだわっていません。代表的なモネの「睡蓮」は、すこし離れた位置で絵を楽しめるように描いています。

一方、魁夷の作品には、叙情的な要素があるように感じます。視覚的な印象よりはむしろ、人の内面に訴えるものがあるようです。これだけ多くの作品に囲まれると、そういった感じを強く受けます。作品が醸し出す情感が自分の心に響くと、深い感動を得ることができます。
魁夷がドイツ留学時代に見て影響を受けたというC.D.フリードリヒもまた、内面的なものを表現する手段として風景画を描いています。

情景は、たとえ画家の想いと鑑賞するものの間にズレがあったとしてもOK。感じるままに眺めるのが、 心地いいのです。
C.D.フリードリヒ「夏」
同じ風景の冬バージョンもあるらしい
(ノイエ・ピナコテークにて撮影)

次は、永遠の風景(3)−旅の終着点へ−

はじめに(1)さまざまな風景と出会う(2)心を写す情景を描く (3)旅の終着点へ

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